『同じ学年だから同じことができる』わけではない

子供の間(小学生くらいまで)は一人一人の発育の差が大きいです。一番わかりやすいのは身長でしょうか。同じ学年でも背が高いこと低いことでは頭ひとつ分以上違うのは珍しくありません。さらに男の子と女の子でも違ったりします。

でも「私の子は隣の席の〇〇くんよりも10cmも背が低い。どうしよう。病院にいこうかしら。」と思う人は少ないでしょう。なぜなら「子供の身長が伸びる時期は個人差がある」ということをよく知っている(自分も経験してきた、見てきた)からです。

ところが勉強(特に算数)になると話が変わってきます。「うちの子、時計の見方がわからないの。大変だ。塾に行かせよう。」となってしまいます。でもよく考えてみてください。大人になって時計を読めない人って殆どいないですね(そう言ったことが困難な障害もありますが、ここでは割愛します)。その子が今、時計を読めないのは「頭」の発育が遅めだからです。そのうち自然に読める様になってくるはずです。

ここで注意してほしいのは

『 頭の発育が遅い = 頭が悪い ではない』

ということです。身長と一緒です。『子供の頃チビだったあいつが、高校では180cm超えてバスケの選手だってさ。』なんてことありましたよね。

発育が遅い子はいくら説明されてもわかりません。赤ちゃんに漢字を覚えさせようとするくらい無駄なことです。子供のうちの勉強では「わかる様になるまで待つ」というのも大切なことなのです。

ところが、そんな時計を読めない子に無理やり勉強を押し付けたらどうなるでしょう?

身長で例えると高いところに有るものを取る練習(?)の様なもの。背が高い子は背伸びをしなくても楽々取れるので何回やっても疲れません。ところが背が低い子は毎回全力でジャンプをしないと届きません。そのうち疲れて嫌になってしまいます。

勉強も一緒で理解できないものを無理やり押し込まれてしまい、一度「勉強嫌い」になってしまった子はもう二度と勉強をする気になりません。成長して「頭の発育」も他の子に追いついた(追い抜いた)としても「自分は勉強ができないバカだ」と思い込んでしまっているのでハナから授業を聞く気にもならないのです。

そろばんの良さは年齢に関わらず、その子の段階にあった練習をできることです。自分に合った練習をすれば必ずそれが成果に繋がります。そこから自信につながっていきます。

(教室だより令和3年12月号より)